• RSS TAKAKIYA
  • MotaFriends
  • Sportsland SUGO
  • OFFROAD VILLAGE

2007.12.01

WR250X KRAZy Spc

写真は、WR250Xが発売された当時にKRAZyでつくった車体です。

このWR250Xの大きな特徴のひとつに

「サイドのゼッケンカバーをやめる」というエクステリア上の提案がありました。

これは大きな提案だなぁと当時感じました。

そこには「なぜそうしたか?」があるはずなんです。
 
 
 

だってあって当たり前のものをなくす、というのは売れなくなる可能性をつくるわけですから

意味がなければやりません。

 
 
 

ではどういう意味か?

もしかしたら「レーサー風バイク」からの決別なんじゃないでしょうか。

「WRシリーズはストリートのためのバイクである」と考えたんじゃないかと。
 
 
 

レーサー風やレーサーモドキって、「レーサーマシンが偉い、なのでそれのマネをする」という考えがその裏にあります。

でもそれって、いいんでしょうか?
 
 
 
 
 
 

RZ250が生んだ2st250ストリートバイクという文化が、ロードレーサーレプリカになってしまって

結局は、誰も乗れないスペシャルバイクのジャンルになってしまい、

またそのオタクさがストリートではバカみたいに感じられるようになり、なくなってしまいました。

レーサー風、レーサーモドキがかっこいいという風潮のおかげで、結局消費してしまった。

この事柄からの反省があるんじゃないでしょうか。
 
 
 

反省じゃないにしても、「レーサーがバイクの頂点にある」という考え方はバイクの一般化を妨げます。

「上手いひとが偉い」というのも同じです。

だって誰もが上手く乗れるわけじゃないですから。
 
 
 

数多くのひとが楽しめるためには、誰もが楽しめるという文化(というかシステム)が必要です。

ディズ●ーランドのように、なにも努力せずとも楽しめることが大切です。

だからみんな行く訳です。お金さえ出せば、あとは身を委ねるだけ。

(個人的にはこのような娯楽には賛成じゃないし、たぶんディズニーさんが考えてたこととはずいぶん違うと思う。
彼のつくった作品には、こういうことが幸せであるとは言っていません。
もっと違うメッセージを送ろうとしていたように思います。)

いいか悪いかはおいといて、こういう「誰もが」ということが需要になってきます。

ハーレーやカワサキのWシリーズが女性にも売れている理由はわかりやすいです。

とばさなくともいいんです。

ハーレーの文化はライディングの技術は問われません。

他にも理由はいっぱいありますが、大きな要因のひとつだと思います。

 
 
 
WRはストリートのバイクである。

WRはレーサーと決別する。

という宣言とうけとめました。

ですから、この新しいサイドカバーのデザインを正当化したいと考えました。

また、むき出しのサイレンサーもかっこいい、と感じさせたいと思いました。

それがこのゴールドのマルケジーニでした。

ちょっとルール違反かもしれないけど改造経費の無いKRAZyにはとてもありがたい、協力者でした。

ルール違反というのは、だってマルケを履けばどんなバイクもかっこいいように感じるでしょ、

という意味です。

でもそのかわり、マルケをモタード文化に普及できたらそれはそれで意味があるのかな、と思いました。

またこの車両によって、ヤマハの提案の意味に気づいてくれるかたもいるかもしれないし。

 
 
 
実はそんなこんなのKRAZy号でした。

だから、ヤマハさんも非常に喜んでくれました。

ちなみに、この写真の記事はKRAZy6号にあります。

WR250X関係の記事は以降2年間つづきます。
 
 
 
 
 
 
この車両のグラフィックの変更にも意味はあります。それはまたいいつか。
 
 
 

OTHER POST

Loading...